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日々のニュース メモ帖

25 違憲立法審査権の放棄 司法消極主義

憲法第9条違憲立法審査権

三権分立

しかし 最高裁(司法)は政府(行政)の違憲な政治を放置。

司法消極主義であるから という。

東京大学の論文集から 司法消極主義についての論文を引用

 

書きかけ というより 資料の引用のみ

 

 

違憲審査制と内閣法制局
佐藤岩夫
概 要
日本の違憲審査制の現実の運用の特徴として違憲判決が極めて少ないことはよく知られ
ている.その原国についてはさまざまな指摘があるが,その 1っとして,内閣法制局
よる厳格な事前審査の存在があげられることがある.それによれば,内閣法制局による法
律の厳格な事前審査の存在が裁判所の事後的な司法審査の機能領域を小さなものにして
いる.本稿は,この説明の妥当性を比較法社会学的な手法を用いて検証し,厳格な事前審
査の存在が直ちに事後的な可法審査の機能領域を縮小させるのではなく,裁判所が自らの
役説について一定の選択をしているという媒介要国(可法の役割観 judicialrole conception) 
が重要であることを主張する.
キーワード
違憲審査制,司法消極主義,内閣法制高,可法の役割観,比較法社会学
1. 問題の所在
日本国憲法 81条は「最高裁判所は,一切の法律,命令,規則又は処分が憲法に適合す
るかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と規定し,日本に違憲審査制を
導入した.しかし,日本国憲法施行後 60年近くになる期間で,最高裁判所が法律を
としたのは,①刑法の尊属殺重罰規定違憲判決 (1973年 4月 48大法廷判決),②薬事法
距離制限規定違憲判決 (1975年 4月 30日大法廷判決),③公職選挙法衆議院議員定数配
分規定の違憲判決 (1976年 4月 14日大法廷判決),④同じく公職選挙法衆議院議員定数
配分規定の違憲判決 (1985年 7月 178大法廷特決),⑤森林法の共有林分割制限規定違憲
判決(1987年 4月 22日大法廷判決),⑥郵便法の賠償責任制限規定違憲判決 (2002年 9月
11日大法廷判決)の 5種 6件に過ぎない(なお,後掲の表 2も参照).このような運用実態か
ら,日本の裁判所,とくに最高裁判所による違憲審査制の運用は不活発であり,司法消極
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特集 「法の支配」の現代的位相
主義であるといわれる 1)
問題はなぜ, 宮本の裁判所,とくに最高裁判所違憲審査制の運用が消極主義的なもの
になっているかという点であるが,この点については,かねてから,次のようなさまざま
な原因が指摘されてきた.
第 1に,政治部門による司法部門の統制である CMiyazawa1991 ; Ramseyer and Roserト
bluth 1993=1995 ;宮津 1999: 192-219頁).これは,最高裁判所裁判官の任命権が内閣に与
えられている(憲法 79条 l項)という制度的条件の下で,戦後一貫して自民党が長期単独
政権を担当した結果,自民党政府は自らの政策と整合する方針を持つ者を最高裁判所裁判
官に指名することができ,自民党政府の提案した法律について違憲判決が下される事態を
阻止することに成功したという説明である.この立場の代表的な論者であるラムザ、イヤー
とローゼンブルースは, I事実上,呂本の裁判官は,自民党代理人であった」とのべて
いる (Ramseyer and Rosenbluth 1993 : p.178ご訳 181 2) 
法消極主義の原因としては,第 2に,最高裁判所裁判官の資質や姿勢に問題がある
ことも指摘される.たとえば,英米法学者から最高裁判所裁判官に転じた伊藤正己は,自
らの最高裁判所裁判官としての経験に基づいて,①意見の対立よりも「和Jを重んじる精
神風土が日本にあり,政治部門への礼譲の意識があること,②法的安定を重視する立場か
らすれば,長期間続いた事実状態をくつがえすことは困難なこと,③司法制度上,最高裁
判所裁判官が憲法の裁判所という意識を低くもち, を軽視することがあるなど,
憲法解釈論を粗雑で、あると見る傾向があること,④大法廷への回付を避けるために合憲判
断を下しがちであること,③[顔のない裁判官Jが求められ,少数意見が生まれにくいこ
とを指摘している(伊藤 1993: 116頁以下).このような最高裁判所裁判官の資質や姿勢の
問題点は,日本がアメリカ型の具体的・付随的違憲審査制をとっていることと関連してい
るとして,伊藤は,裁判官に違憲審査権の行使主体としての自覚を強めるため,ヨーロツ
パ大陸型の憲法裁判所の創設を提言している.
第 3に,最高裁判所の事件負担の重さもしばしば指摘される.たとえば, 2001年 6月
1) ただし日本の裁判所の違憲審査制の運用実態を司法消組主義であるとのべることについては,敢密に
は,次の 2点について注意を要する.第 1に,違憲判決の少なさがi捺立っているのは最高裁判所において
であり,下級審のレベルでは,しばしば重要な違憲判断が示されている.このことから,下級審裁判例から
の績み上げに着目して日本の違憲審査制の活性化の可能性を探ろうとする指摘がある(樋口他 1999).第 2
に,憲法判断それ自体の積極性・消極性と違憲判断の積極性・消極性を毘別すべきであるとの指摘がある.
日本の最高裁判例では合憲判決は数多く存在するのであり,正確には「合憲判断積極主義・違憲判断消極主
義j ということになる(樋口 1998: 446-447頁;辻村 2003: 207頁).本稿では,これらの指摘が正鵠を
得たものであることを確認した上で,以下では,最高裁判所違憲判断に消極的であるという次元に着目し
て苛法消極主義という用語を用いる.
2) これに対する批判としては,ヘイリー (1995)参照.
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違憲審査制と内閣法制局
12日の司法制度改革審議会意見書はこの点に言及し, r違憲立法審査権行使の終審裁判所
である最高裁判所がきわめて多くの上告事件を抱え,たとえばアメリカ連邦最高裁判所
違って,憲法問題に取り組む姿勢をとりにくいという事情を指摘しえよう Jと述べている
(司法制度改革審議会 2001: 6頁). 
さらに,第 4の要困として,内閣法制局による厳格な事前審査の存在を指摘するもの
もある.たとえば,中村明 (2001: 27頁)は,内閣法制局による法令案の審査が厳密を極
めることを指摘した上で, rこの作業が内閣提出法律,政令違憲判決を少なくしてい
ると言っていい」と述べ,また,西川I(2000: 124頁)も, r後で裁判所が判断するという
ことでは大変な混乱が生じる」という大森政輔・元内閣法制局長官の言葉を引用しつつ,
内閣法制局最高裁に代わって,事実上,最終の違憲立法審査権を行っているJと指摘
している.さらに, 2003年 5月 15日の衆議院憲法調査会の「統治機構のあり方に関する
調査小委員会」で参考人として意見を述べた山口繁・前最高裁判所長官も,諸外国との比
較における E本の憲法裁判制度の特色の 1っとして, r我が国におきましでも,先ほど津
参考人〔前内閣法制局長官一筆者注〕から御説明のございましたように,法律案は大半
が内閣提出法案でありましたために内閣法制局による法案審査がなされます.そこで厳密
な合憲性の検討がなされておりますので,違憲ではないかという問題提起がなされるよう
な法令自体少なかったのであります」と述べている 3)4)
このように,日本の最高裁の司法消極主義をもたらした要因の指摘は多岐にわたってお
り,それらの要因のいずれを重視するかも論者によって異なっている.現実にはおそらく
これらの要因が複雑に絡み合ったものであり,単純に 1つの原因にのみ還元することは
できないのであって,現在求められている課題は,司法消極主義をもたらしている要因の
それぞれについてそれがいかなるメカニズムで違憲審査制の消極的な運用をもたらしてい
るかを精密に分析した上で,各要因の相互影響関係の全体像を描き出すことであると思わ
れる.
本稿は,そのような問題関心の一環として,とりあえず,上記の諸要因のうち第 4の
点,すなわち,内関法制局による厳格な事前審査の存在が違憲審査制の消極的運用の原因
であるという説明について,その当否を検証することを目的としている.
3) なお,この山口前最高裁判所長官参考人意見については後に 4であらためて詳しく言及する予定であ
る.
4) そのほか,衆議院憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会」の 2004年 3月
25日の審議の際に衆議院事務局が作成・提出した資料でも,最高裁判所裁判官任命システムの問題,最高
裁判所の膨大な処理件数の開題,具体的違憲審査制の開題などと並んで, I厳格な事前審査による弊害」を
あげ, I内開法制局や議院法制局による法案提出前の事前審査により,最高裁判所違憲審査の経験を積む
状況が妨げられていることJを指摘する(衆議院事務局 2004: 18貰). 
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特集 f法の支配」の現代的位相
本稿があえてこの課題に取り組む目的は,以下の 2点である.まず第 1に,内閣法制
による厳格な事前審査の存在が違憲審査制の消極的運用をもたらしていることそれ自体
については上記のように指摘があるものの,では具体的に,内閣法制局による事前審査が
いかなるメカニズムで違憲審査制の消極的運用をもたらしているかの立ち入った分析はこ
れまでなされてこなかったからである.たとえば,内閣法制局による厳格な事前審査が違
憲審査制の消極的運用をもたらしているという指摘については,直ちに次のような比較法
的反証が想起される.法令の厳格な事前審査制度は必ずしも日本に間有の現象ではなく,
たとえば,フランスでは,国務院(コンセイユ・デタ)が,厳格な法令の事前審査を行って
いる 5) ところが,そのフランスでは,とくに 1970年代以降,憲法践が活発な違憲審査
を行い,多くの違憲判決が下されている.すなわち,比較法的にみれば,厳格な法令事前
審査にもかかわらず活発な違憲審査権の行使という現象が見られるのである.このような
比較法的反証事例の存在を考えると,法令の厳格な事前審査の存在が当然に違憲審査制の
消極的な運用をもたらすとは言えず,もし日本で内閣法制局の厳格な事前審査が違憲審査
制の消極的な運用をもたらしているとするならば,そのメカニズムを具体的・実証的に検
証することが必要であろう.それは,上に述べた,司法消極主義をもたらしているとされ
る要因のそれぞれについて精密な分析を加えるという課題に応える作業としての意味を持
つ.
第 2は,比較法社会学的な手法の適用への方法的関心で、ある.上でフランスの例をあ
げたように,法令の事前審査制度も違憲審査制度も決して E本に特有のものではない.そ
して臼本と同様法令の事前審査制度を持ちながら違憲審査制の運用の点では日本と異な
る特徴を持つ国があるならば,日本とそれらの諸国とを比較することを通じて,両者の違
いをもたらした要因を析出することができるであろう.筆者は,別の機会に,法社会学
おいて比較という方法がもちうる意義の 1っとして,それが変数を統制し,因果関係の
確定に役立つ可能性を指摘したことがある(佐藤 2001: 74-77頁;2004 : 157-160頁).本稿
では,このような比較法社会学の方法的関心から,日本と同じく法令の事前審査の制度を
持ちながら,違憲審査制の機能に大きな違いがある(可法績極主義の特徴を持つ)フランス
およびドイツを比較の対象として観察することによって,彼我の違憲審査制の運用の積極
性・消極性の違いをもたらしている要因を析出することを試みたい.
以下,まず内閣法制局の歴史を概観した上で,内閣法制局の活動と最高裁判所違憲
判決との関係を確認する(第 2節).その後,フランスおよびドイツにおける法令の事前
審査機関(国務院,連邦司法省)と違憲審査機関(憲法院,連邦憲法裁判所)の関係を考察し
5) なお,後に触れるように,日本の内閣法制局のモデルとなったのは,このフランスの罰務院であるとい
われる.
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違患審査制と内閣法制局
(第 3節),そこで得られた示唆に基づいて再び日本に立ち戻り,内閣法制局最高裁判所
の役割認識の異同を検討する(第 4節).以上の考察の結果得られた結論をあらかじめ要
約すれば,<内閣法制局による法令の厳格な事前審査が直ちに事後的な違憲審査制の機
能の縮小をもたらすわけではなく,日本でそのような事態が生じているのは,最高裁判所
が,政治への介入を厳しく自制する役割観を選択している結果である>というものであ
る.最後に,本稿の分析を踏まえて今後の課題を確認する(第 5節). 
2. 内閣法制局の法令審査と最高裁判所違憲判決
(1) 内閣法制局の沿革
内閣法制局の歴史は,直接的には, 1885 (明治 18)年の内関制度の発足に伴い, r法制
局官制』が制定され,内閣に法制局が設置されたことに始まる 6) 法制局には,行政部,
法制部および可法部の 3部がおかれ,行政部は「外交内務勧業教育軍制財務逓信ニ関ス
ル法律命令ノ起草審査Jを,法制部は「民法訴訟法商法刑法治罪法及之ニ関スル命令ノ起
草審査Jを,司法部は「恩赦特典及諸裁判所ノ官制及行政裁判Jをそれぞれっかさどるこ
ととなった.
表 1 内関法制局時年表
1873 (明治 6)年 5月 太政官正院に法制課設寵
1875 (明治 8)年 7月 法制課から法制局に
1881 (明治 14)年 10月 太政官に参事院設置(参事院は,法律・命令の起草・審査のほかに,行政裁判も
所掌.モデルは,フランスの国務院〔コンセイユ・デタ))
1885 (明治 18)年 12月 内閣制度発足.内閣に法制局を設置(法制崩官制の制定.法制局は,法律・命令
の起草・審査のほかに,行政裁判も所掌)
1889 (明治 22)年 2月 大日本帝国憲法発布(行政裁判所制度創設)
1890 (明治 23)年 6月 法制局官制の全雷改正(法制局の所掌事務を,法令案の審査,立案,内閣総理大
臣への意見具申などに整理)
1893 (明治 26)年 11月 法制局官棋の全面改正(法制局は「内関に隷する」こととされる)
1946 (昭和 21)年 11月 日本国憲法公布(裁判所による違憲審査制度の創設)
1948 (昭和 23)年 2月 法制局騒 i上(法制高の事務は法務庁の所掌となる)
1952 (昭和 27)年 8月 法制局復活(法制局設置法制定)
1962 (昭和 37)年 7月 内閣法制局と改称、(法律の名称も内閣法制局設置法に変更)
ただし, 1885年以前にも若干の前史があり(表 1),1873 (明治 6)年 5月 2日の太政官
6) 以下に述べる内障法制局の沿革は,主として,内障法制局百年史編集委員会編 (1985)の叙述によって
いる.
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特集 「法の支配Jの現代的位相
無号達太政官職制により,太政官正院に「法制課Jが設置されていた (1875(明治 8J年
に,法制課から法制局に名称が変更された).その後, 1881 (明治 14)年 10月 12日に, 1890 
(明治 23) 年を期して議会を開設する旨の詔書が発せられると,それに伴い,同月 21日
太政官中に参事院が設けられることになり,法制局の法律規則に関する事務は参事院に
引き継がれることとなった.参事院は,一切の法律案の起草,審議または修正を掌り,各
省の諸報告も審査し,さらには,本来行政裁判所が取り扱うべきものと考えられた行政官
と司法官との権限争議,地方議会と地方官との法律上もしくは権限上の争議をも審理す
るものとされていたので,参事院は,内閣が全国務(ただし,統帥権は除く)の統一を確保
するための補助機関とでも言うべきものであった.この参事院は,フランスの国務院(コ
ンセイユ・デタ)に範をとったものであるといわれる(内閣法制局百年史編集委員会編 1985: 
12-13良).参事院が,法律・命令の起草・審査のほかに,行政裁判も所掌していたのも,
フランスの国務院にならったものである. 1885年に発足した法制局は,基本的に,この
参事院の権限をそのまま引き継ぐこととなった.
その後, 1889年に大日本帝国憲法が制定されると行政裁判所が創設され,法制局の可
法部の所掌事務は行政裁判所に移され,また,法制部の所掌事務も民事刑事その他の基本
法典編纂のための法律取調べ委員会の発足 (1886年)とともに,それへ移されていた.そ
こで, 1890 (明治 23)年に,新しい f法制局官制jが制定され,所掌事務を,法令案の審
内閣総理大臣への意見具申などに整理し,さらに 1893年に組織上の位寵づけ
について一定の修正が加えられたものが7) 基本的に第 2次世界大戦持まで継続すること
になる.
2次世界大戦の終了とともに, 2つの重要な出来事が生じた. 1つは, 1946年 11月
に公布された E本国憲法によって,裁判所に違憲立法審査権が付与されたことである(日
81条).日本国憲法の基礎となったマッカーサー草案は,司法に関する規定(第 6
の冒頭の第 68条で, I強力ニシテ独立ナル司法府ハ人民ノ権利ノ盤塁J(a strong and 
independent judiciary being the bulwark of peoples right) と宣言したが,裁判所に対する
違憲立法審査権の付与は,この「人民の権利Jを擁護する強力な司法府の象徴でもあっ
た8) 終戦後に生じたもう 1つの重要な出来事は,連合軍最高総司令部 (GHQ) の指示に
よって, 1948年 2月 15日に,法制局が廃止されたことである.法制局鹿止の理由は必ず
しも明らかではないが,内閣法制局百年史編集委員会編 (1985: 137頁)は「総司令部か
7) それまで f内閣に属jするものとされていたのが (1890年法制局官制 1条), 1893年に「内閣に隷」す
るものと改められ,法制局の独立性の強さが確認された(内閣法制局百年史編集委員会編 1985: 26頁,
28頁). 
8) 草案 68条自体はその後削除されたが,しかし,同条の理念は,戦後司法制度の骨格を形成すべき指導理
念として,日本国憲法およびその下での戦後司法改革をリードした.小田中・富田 (2001: 189頁)参照.
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違憲審査制と内閣法制局
ら当時の法制局が余りにも形式的,論理的,反動的であるとみなされたためらしい」と説
明している.その結果, 1948年以降は,法制局と苛法省とが合体してできた新設の「法
務総裁Jの下に法務庁が設けられ,その下に,法制長官および法務調査意見長官等が震か
れることになり,法制局は,一時,内閣車属の地位を失った.
しかし, 1952年 4月に平和条約が発効し,独立を回復するとともに,占領下での諸制
度に見直しの検討が加えられ,同年 8月,内閣における法制の整備統一に関する機能を
強化するため,法制局が 4年半振りに復活し,再び内閣に置かれることとなる (1952年法
制馬設置法).法制局設置法によると,法制局の任務は, I閣議に附される法律案,政令案,
条約案を審査し,これに意見を約し,及び所要の修正を加えて内閣に上申すること J(3 
条 1号), I法律案及び政令案を立案し,内閣に上申すること J(同条 2号), I法律問題に関
し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べること J(開条 3号), I内外及
国際法制並びにその運用に関する調査研究を行うこと J(開条 4号), Iその他法制一般
に関すること J(同条 5号)となっており,この所掌事務の基本は今日まで維持されてい
る.その後, 1962年 7月から,名称が内閣法制局と改称され(法律の名称も内閣法制渇設置
法へと変更された),現在に至っている.
(2) 内閣法制局の法令審査
こうして,内閣法制局は, I内閣の法律顧問J(内閣法制局百年史編集委員会編 1985r序J)
として重要な役割を果たしてきたが,本稿との関係で当面問題となるのは,関議に付され
る法案の審査である.法案については,内閣が法案を作成・提出する「内閣提出法案Jと
国会議員または国会の委員会・調査会が作成・提出する「議員提出法案」があるが,内閣
が提出する法案は,閣議に付される前に各省庁が立案したものすべてを内閣法制局で審査
する.日本では,国会に提出される法案の過半を内閣提出法案が占め,また成立する法案
の圧備的多数は内閣提出法案であることから 9) この内閣提出法案の事前審査に当たる内
閣法制局の役割は非常に大きい.
法案の審査は,主務官庁の担当官と内閣法制局の審査担当参事官との間で,原案の説
明,質疑応答,原案の修正,質疑応答といった一連の手続が繰り返し行われる.内容的
には, I憲法及び他の現行法制との関係並びに立法内容の法的妥当性についての検討はも
9) 増山 (2003: 32頁)によると, 1947年の第 1問題会から 2001年の第 153田盟会までを通算すると,
法案提出数では,内閣提出法案が 9135本(全体の 57.9%),議員提出法案が 6649本(全体の 42.1%), 
成立数では,内閣提出法案が 7267本(全体の 85.2%),議員提出法案が 1260本(全体の 14.8%)であ
る.
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特集 「法の支配」の現代的位相
ちろんのこと,立案の意国が,法文の上に正確に表されているか,条文の配列等の構成
は適当であるか,用字・用語の誤りはないかというような点についても,法律的,技術
的にあらゆる角度から検討する.その対象となる範囲は,題名,日次から本別,罰則はも
とより,法律案につける提案理由にまで及ぶ」ものであり(内閣法鰐局百年史編集委員会
1985 : 222真),審査は厳密を極めるといわれる.もっとも,審査は,基本的には形式的な
側面に重点があり,法案の目的の正当性や政策的妥当性などに及ぶものではないとされ
る.たとえば,内閣法制局平岡秀夫は, IC法案の〕内容については,基本的に内閣法制
に持ち込まれる前の段階で,審議会や各省関の折衝で決定されている場合が多く,内閣
法制局に持ち込まれた段階で内容の基本的な部分が否定される場合はまずあり得ないと忠
われる JI審査のポイントについては,政策の中身自身を内閣法制局の方が左右すること
は少なく,法体系上のバランスをとる,表現を統一する,論理的整合性をとる,正確な文
にするというような形式的な整理を行うことが中心になるj と述べている(平岡 1997: 
286頁, 287 
しかし形式面に限定されるにせよ,一宇一匂の誤りも許さないといわれるその厳格な
審査は,内閣提出法案の立法過程において非常に重要な役割をはたしている.その点につ
いて,中村明 (2001: 20頁)は「内閣法制局は政府部内での憲法の最高有権解釈権者とし
て,日去の支配jを盾に,官僚や政治家が憲法や法律を逸脱しないようににらみを利かせ
ているJと表現し,また,これは内閣法制局に批判的なスタンスからではあるが,五十嵐
らは, I行政機構の一角である内閣法制局が,裁判所が審査する前に,各省庁が法案
を起草した段階で,それが新憲法下はおろか,明治以来連綿として築かれてきた法律の膨
大な体系と整合性があるか否か事前に審査し,否ならば整合性を持つように法案を書き
させるのである.つまり内閣法制局こそ,第一次違憲審査所なのである.こうして日本の
官僚は珂法の役割も含めて三権をほぼ手中に収めたのである.これが三権のなかで官僚が
突出した最大の理由であるJと述べている(五十嵐・小JI[1995 : 72頁).事態の評価につい
ては意見が分かれるにしても,日本の立法の重要部分である政府提出法案について,内閣
法制局が政府部内での「最高有権解釈権者Jとして決定的に大きな影響力を行使している
ことについては異論がないといってよいであろう.
(3) 内閣法制局の事前審査と違憲判決
問題は,このような内閣法制局による厳格な事前審査の存在が,違憲審査制の運用に
与える影響である.内閣法制局の審査が,憲法との適合性(ただし形式的適合性)に及ぶ以
上,内閣法制局の厳格な審査を経て成立した法律について,事後的に違憲の疑いがかけら
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違憲審査制と内開法制局
れる可能性は一一一少なくとも憲法との形式的な整合性が問題となる限り一一大きく減じて
いることは予想、できる.本稿の冒頭で紹介した山口前最高裁長官やその他の論者の見解
は,そのような認識を示したものである.
実際,注目すべきことに,戦後内閣法制局が審査した法律で,最高裁によって違憲判決
を受けたものはほとんどないといわれる.表 2は,最高裁判所がこれまで法律について
違憲判決を下した裁判の一覧である.中村明 (2001) は, 2001年時点で出されていた①
~⑤判決について,違憲判決を受けた法律がいずれも内閣法制局の審査を経ていないこと
を指摘している.すなわち,明治時代に施行された尊属殺重罰に関する刑法 200条(明治
40年 4月 24日施行)を別とすると,②判決が違憲とした薬事法 6条 2項・ 4項は,薬事法
自体は政府提出法案だが,問題となった 6条 2項.4項は, 1963年に議員立法で追加さ
れたものであり,したがって,内閣法制局の審査は経ていない.③④判決で問題となっ
公職選挙法の改正はもちろん議員立法である.⑤判決で問題となった森林法 186条に
ついても,森林法自体は 1951年に農林省において立案されたものだが,政府提案とせず
に,議員提出とするいわゆる「依頼立法Jの形式で行われた.したがって審査したのは衆
議院の法制局であった.つまり,以上の限りでは,戦後,内閣法制局が審査した法律で最
高裁から違憲判決を下された事例はなかったということになる(中村明 2001: 31頁).唯
一の例外は最近の⑥判決で違憲とされた郵便法である.同法は 1947年に政府提出法案と
して成立したものであり,したがって,法制局の審査を経ていることになる.もっとも,
この 1947年という時期は,終戦直後の新体制の下で多数の新しい法律の制定が問題とな
っており,また,上述の通り, GHQの指示で法制局の廃止が議論されていた時期とも
なり (1948年 2月に一旦廃止),当時の法案審査は通常と比較するとやや精密さを欠いてい
たという;伏況も推測できないわけではない.
以上の事実を踏まえるならば,内関法制局の厳搭な事前審査が裁判所の違憲審査の必要
性を減じており,結果として日本では違憲判決が少ないという説明は,一応妥当性を有す
るもののように思われる.しかし諸外国に百を転じてみると,政府提出法案が優位な国
で,議会への法案提出前に厳格な審査が行われる仕組みを備えながら,なお裁判所による
違憲審査制の積極的な運用が行われ,多数の違憲判決が下されている国があることがわか
る.次節では,そのような比較法的反証事例としてフランスとドイツを取り上げよう.フ
ランスもドイツも,ともに政府提出法案が優位であり,しかも,相当程度厳格な法令の事
前審査制度がある点では自本と共通性を持ちながら,しかし,憲法院(フランス)および
連邦憲法裁判所(ドイツ)が違憲審査制の積極的な運用を行っている点では日本ときわだ
89 
特集 「法の支配Jの現代的位相
表 2 最高裁判所が下した法令違憲判決と内閣法制局の審査の有無
判 決 判決の概要 立法過程における内閣法制 (参考)違憲判決後の国
局の審査の有無 会の対応
①尊属殺重罰規定違憲判 刑 法 200条の尊属殺重 1907 (明治 40)年 制 1995年の刑法改正で刑法
決 (1973年 4月 4日大 罰規定は憲法 14条の法 ,万ょ三_. 200条は削除される(その
法廷判決,刑集 27巻 3 の下の平等に反する. 間は,法務省の通達によ
号 265頁) り,検察は,尊属殺重罰規
定を適用せず,普通殺人で
起訴する運用が行われた)
薬事法距離制線規定 薬事法 6条 2項・ 4項 × 薬事法自体は政府提 判決の約 1ヵ月後に,閤
違憲特決 (1975年 4月 等による薬局の適正配置 出法案だが, 6条 2 会で,薬事法 6条 2項・ 4
30日大法廷判決,民集 規制(距離制限)は憲法 項 .4項は, 1963年 項等を削除する法改正が行
29巻 4号 572頁) 22条の職業選択の自由議員立法で追加され われる.
に違反し無効. たもの.
衆議院議員定数配分規 1972年 12月に施行さ × 議員立法. 判決に先立つ 1975年の国
違憲判決 (1976年 4 れた衆議院議員総選挙に 会で,議員定数配分規定の
月 14日大法廷判決,民 おける議員定数記分規定 改正が行われる.
集 30巻 3号 223頁) は著しく不均衡であり,
憲法 14条の法の下の平
等に違反する(ただし,
いわゆる「事'情判決jの
法理を適用して,選挙白
体は無効とはしなかっ
た)
衆議院議自 主支配分規 1983年 12月に施仔さ × 議員立法. 判決後の 1986年の国会
違憲判決 (1985年 7 れた衆議院議員総選挙に で,議員定数配分規定の改
月 17日大法廷判決,民 おける議員定数記分規定 正が行われる.
集 39巻 5号 1100頁) は著しく不均衡であり,
憲法 14条の法の下の平
等に違反する(ただし,
いわゆる「事情判決jの
法理を適用して,選挙自
体は無効とはしなかっ
た)
⑤森林法共有林分割制限 森林法 186条の共有林 × 議員立法(森林法は農 判決の約 1ヵ月後に,国
規定違憲判決 (1987年 分割請求制限規定は憲法 林省において立案され 会で,森林法 186条を削
4月 22日大法廷判決, 29条の需産権保蹄に違 たものだが,政府提案 除する法改正が行われる.
民集 41巻 3号 408頁) 反し無効. とせずに,議員提出と
するいわゆる「依頼立
法Jの形式をとった). 
⑥郵便法賠償責任制限規 郵便局の過失で損害が生 O 判決の約 2ヵ月後に,国
違憲判決 (2002年 9 じた場合の賠償責任の範 会で,国の損害賠償責任の
月 11日大法廷判決,民 四を制限した郵便法 68 範囲の拡大等の措置を講じ
集団巻 7号 1439頁) 条および賠償請求権者を る法改正が行われる.
制限した同法 73条は,
国の賠償責任を定めた慾
法 17条に違反し無効.
90 
違憲審査制と内閣法制局
った対照を示している国である 10)
3. 比較法的反証事例
(1) フランス一一国務院と憲法
フランスで法令の事前審査に当たっているのは,国務院(コンセイユ・デタ Conseil
dうEtat) である 11) 国務院というと,特に法学の分野では,行政最高裁判所としての役
割が注目されるが,実際には,それにも増して,政府の法律草案の作成や法令解釈に関す
る意見などいわゆる法制局的役割が重要で、ある 12) なお,現在の日本の内閣法制局の前
身である参事院がこのフランスの国務院をモデルにしていたことはすでに触れたとおりで
ある.
国務院の法制局的役割に関する権限を諮問的権限というが,その範囲は広く,①政府提
出法案の準備,②行政立法(デクレ)案の準備,③個別的な行政処分における政府の諮問
に対する答申,④法令の解釈について疑義が生じた場合に政府の諮問に対して意見を述べ
る職務などに及ぶ.とくに重要なのは①の政府提出法案の準備である.原案の作成は各省
庁が行い,その後国務院の担当する部に回付されて立法技術に通暁した法律専門家による
修正を経て,最終的な政府提出法案とされるのが通例である.フランスでも,成立する法
案の大部分は議員提出法案ではなく政府提出法案をもとにしており,また,政府提出法案
の内容がその根幹において議会で修正されることは稀であることから,国務院が法律制定
においてはたす役割は極めて大きい(滝沢 2004: 204 
10) なお,違憲審査制の積極的な運用ということでまず第 1に想起されるのはアメリカ合衆国最高裁判所
(U.S. Supreme Court)であるが,アメリカでは法案提出権は議員にしか認められておらず(法案は議員
スタッフが作成する),当然のことながら法案の事前審査の制鹿も存在しない.この点で,日本とアメリ
は,事前審査制の存否と違憲審査制の運用の積極性・消極性の両面で相違が見られることになる. 日本とア
メリカの比較はそれとして興味深い課題ではあるが,本稿では,前者の事前審査制の存否という変数を統制
する趣旨で,事前審査制が存在する点では日本と共通の条件にあるフランスとドイツを比較の対象として選
択した.
11) 国務院の起源は遠く旧制度時代に求めることができるが,現行制度の直接の起源となったのは,ナポレ
オンが第一統領になった 1799年憲法の 52条が国務院を設置したことによる.滝沢 (2004: 200貰以下)
参昭
12) 法制局的役割の重要性は,組織面にも現れており,国務院は伝統的に全体で 5部からなっていたが,
そのうち,行政最高裁判所として機能する訴訟部は 1つだけであり,他の 4つの部は,行政部(内務部,
財政部,公土木部,社会部)として立法準備や政府による各種諮問に応じる任務を担当している.なお,
1985年 1月 24日デクレにより,一般的な法改革の提言と報告書作成を担当する調査部が新設され, 6部
制となった.
91 
特集 「法の支配jの現代的位相
他方,フランスで違憲審査機関として機能しているのが,憲法院 (Conseilconstitutionnel)である.フランスにおける違憲審査制の歴史はそれほど古いものではない.行制裁
判所にせよ,司法裁判所にせよ,裁判所は法律の適用を任務とするのであって,法律その
ものを審査することはしない,すなわち,法律の合憲性審査権を行使しないというのが,
フランスの伝統的な考え方であった.
このような状況を大きく変えたのが第 5共和制であり, 1958年 10月 4Bの第 5共和制
憲法において,憲法に違反する法律の効力を審査する機関として憲法院が創設された.も
っとも,この憲法院の当初の性格はやや特殊なものであった.そもそも,憲法院創設の
には,第 5共和制憲法における執行権優位型の統治体制への移行があり,憲法院は,
「合理化された議会制 (parlementalisimerationalise) Jという理念の下で,執行権が立法権
を製肘する機関の一環として位壁づけられた.この持期の憲法院がしばしば「執行権の番
犬Jとして特徴付けられるのもそのためである.なお,憲法院に提訴できるのは,議会に
おいて議決がなされて内容が確定した後,大統領が審署して執行力を付与するまでの関
に限定されている.また,提訴権者は,制度の創設当初は,通常法律の場合,大統領,
相,両院(国民議会および元老院)の議長の 4名に限定されていた13) 第 5共和制の発足
当初には,大統領,首相,両続議長は,議会の多数派と概ね一致していたので,政府が提
し,与党=議会多数派が承認した法律について,大統領,首相,両院議長が提訴すると
いう事態はあまり存在せず,したがって,創設当時の憲法院の機能はそれほど大きなもの
ではなかった.
ところが, 1970年代を境に,憲法院の機能は劇的に変化することになる.すなわち,
憲法院の違憲立法審査機能が急速に重要性を増し,しかも基本的人権の擁護のために活用
されるようになったのである.それには主として 2つの理由がある 14)
第 1は, 1974年 10月29日の憲法改正により,提訴権者が拡大されたことである.新
たに 60人の国民議会議員および 60人の元老院議員に対して提訴権が付与され,議会少
数派が法律の合憲性につき憲法院に提訴することが可能になった.この憲法改正以降,野
は積極的に提訴を行うようになり,提訴数は著しく増大することになる 15)
第 2は,憲法院自身の大きな変化である.すなわち,憲法院は, 1971年 7月 16日のい
わゆる「結社の自由」判決16)において, 1901年の結社の自由の法律が定める結社の自由
13) なお,統治機構のあり方に関する組織法律の場合には,義務的に憲法院の審査に付される.
14) この点については多くの研究があるが,さしあたり,ヰi村|睦男 (1976),滝沢 (2004: 211頁)を参照.
15) なお,その後 1989年に,当時のミッテラン大統領が,市民にも憲法i涜への直接提訴を可能にする改革
案を提案したが,元老院の反対にあって強折した.ただし, 1974年の憲法改正以後,違憲の疑いが存在す
る法律は反対派によってほとんど提訴されているとの指捕もある (Stone1994 : p.448) . 
16) C. const. 71-44DC 16 ju日目 1971ぅ Rec.29. 事案と判決の詳しい内容については,山元 (2002)参
日召
92 
違憲審査制と内閣法制局
憲法上の人権規定と認定し,それに照らして,同法の改正を行う法律を違憲とする判決
を下した.この判決は,フランスの憲法史上,いくつかの点で画期的な意義を持つもので
あった.第 lに,憲法院は,この判決以降,国民の権利と自由を擁護するために法律の
合憲性を積極的に審査し人権保障機関として重要な役割をはたすようになった.このた
め,憲法読は, 1執行権のための議会監督機関から人権保障機関へとメタモルフォーゼを
とげたJといわれる(出元 2002: 142頁).第 2に,その際,憲法院は,違憲審査の根拠と
なる規範を自ら創設するという無理をあえて行う決断を下した.そもそも, 1958年の第
5共和制憲法は,人権に関する規定を含んでいなかった.これに対して,憲法院は, 1971 
年の判決で,憲法前文の「フランス人畏は, 1946年憲法前文によって確認され補完され
た 1789年宣言〔いわゆる人権宣言〕により定められた,人権および国民主権原理に対す
るその愛着を,厳粛に宣明する」との文言を手がかりに,そこで言及されている 1946年
憲法前文およびそこでさらに言及されている「共和国の諸法律によって承認された基本
的諸価値J17)について憲法的効力を認め,そして, 1結社の自由」もまたそこに含まれて
いると判断することによって,それを制約する立法の違憲性を確認したのであった.その
後,憲法院が憲法判断を行うために導入したこの規範の総体は次第に拡充され, 1憲法
ロック (blocde constitutionnalite) Jと呼ばれるようになっていく.憲法院は,自ら憲法
断の基準となる規範群・諸原理を創設的に確認することによって,違憲審査権の機能領域
を拡大していったのである 18)
こうして 1970年代初頭に生じた憲法院の活動の変化を明瞭に示しているのが, Stone 
(1994)の作成した表 3である.この表でまず自を引くのは, 1974年以後の提訴件数の急
激な増加である.その主要な原因が, 1974年の憲法改正による提訴権者の拡大であるこ
とは言うまでもない.この憲法改正によって 60人の国民議会議員および 60人の元老院
議員に対して新たに憲法院への提訴権が付与されたが,表 3からも, 1974年以降,この
カテゴリーの提訴が非常に多数に上り,それが,憲法院への提訴件数全体の数字を大幅
に増加させていることが読み取れる.さらに,この表で注目すべきもう 1つの点は,違
憲判決の多さである.時期によって変動はあるが,判決全体に対する違憲判決の比率は,
1974年から 1980年の時期が 30.4%, 1981年から 1987年の時期が 53.2%,1988年から
1990年までの時期が 54.8%となっており,この表を作成した Stoneの言葉を借りれば,
11970年代以降は重要な法律のほとんどは議会少数派のメンバーによって憲法院へ提訴さ
17) 1946年憲法前文は, rフランス人民は, 1789年の権利宣言によって確立された人および市民の権利お
よぴ自由,ならびに,共和国の諸法律によって承認された基本的諸原理を,厳粛に再確認する」としてい
る.
18) なお,フランスの憲法院が下した重要判決については,フランス憲法判例研究会編 (2002) を参照.
93 
特集 「法の支配」の現代的位相
れ, しかもその努力は報われ, 1981年以降は提訴の半数以上が違憲の判決をもたらした」
(Stone 1994 : p.448) ということになる 19)
表 3 憲法院への提訴件数と判決の推移
1988-1990 
吋touつ刷ハUAUvhU
A
せA4t
1981-1987 
136 




134 
1974-1980 円。円。602202 
1959…73 Q UunbAUq


によるもの
提訴件数
内大統領
首相
国民議会議長
元老院議長
60人以上の議員
1iiA


bAハ
944 qLQdqd 
311 せq A
A吐1iqd
972 憲法i涜の判決
違憲判決
合憲判決
フランスでは,法案の厳格な事前審査が行われているにもかかわらず,裁判
所(憲法院)が違憲審査権を積極的に運用し,多数の違憲判決を下すという事態が生じて
Stone (1994: p.449) 出 肱 ハ
こうして,
いることカ苛在認できる.
ドイツー一司法省と連邦憲法裁判所
では,法律の提案権は,連邦政府,連邦参議設および連邦
の5%以上あるいは会派 Fraktionの署名が必要)に帰属するが,議会に提案さ
(ドイツ連邦共和国)
(2) 
ドイツ
ドイツもまた,政府提出
法案優位の閣であるといえる. ドイツでは, 日本の内閣法制局やフランスの国務院に対応
する機関は存在しないが,司法省 (Bundesjustizminisiterium) が法案の事前審査機関とし
ての機能をはたしている 20)
政府提出法案の立案過程を見ると,通常は,
が作成される 21)
れる法案の 3分の 2以上は政府提出法案であり, したがって,
関係省庁の部局 (Referat) で法案の原案
この部毘案 (Referentenentwurf) について他の省庁と調整を行い,
の審査を受けることになる.司法省は法案の適
その
後,司法省の適法性 (Rechtsformichkeit) 
法性について評価特権を有しており,その役割は近年ますま になっているといわ
れる. というのも,年を経るとともに法案の内容が複雑になり, また, さまざまな利害
19) なお,姥原 (1997: (2)43頁以下)も, 1980年代における通常法律および組織法律の審査件数 129件
のうち, 70%以上に当たる 92件が一部違憲判決を含む違憲判決であったという数字を紹介している.
20) 以下については, Beyme (1997: S.143f.)参照.
21) なお,議員立法の場合も,自身で法案を作成することは稀で,政府あるいは関係省庁に立案を依頼する
ことが多いとのことである (http:jjwww.bundestag.dejinfojgesgebjindex.html参燕). 
94 
違憲審査制と内閣法制局
関係者の聞の妥協的要素が大きくなっている結果,条文に法律的暇庇が含まれる危険性
が以前にもまして増大する状況が見られるからである.そこで,司法省は,憲法(基本法
Grundgesetz) その他の法律との整合性 (Vereinbarkeit) や,法律用語の選択と条文構成の
正確さ・綴密さなどについて詳細な審査を行うことになる.この審査を通過すると,主務
大臣が閣議に提案し,承認が得られると正式の法律案として議会に提案される運びとな
る.
問題は,以上のような事前審査を経た後議会で可決・成立した法律について,裁判所の
違憲審査がどのような状況になっているかである.
ドイツにおける違憲審査権の行使は, 1951年に創設された連邦憲法裁判所 (Bundesverfassungsgericht) が担当している.連邦憲法裁判所が持つ権限はきわめて強力かっ広範で
あり,各種の連邦最高機関相互の争訟や連邦と州(ラント)との争訟の裁判権,基本権停
止の決定や政党の違憲性決定,大統領の弾劾,裁判官の弾劾,選挙法争訟の管轄の諸権限
のほか,各種の違憲審査権を集中的に行使している.すなわち,連邦憲法裁判所は,法律
基本法適合性やナ1'1法の連邦法適合性について,連邦政府,州政府あるいは連邦議会議員
の 3分の 1からの申立てに基づいて審査する権限を持ち(抽象的規範統制),また,通常の
裁判所が具体的事件について適用しようとする法律が違憲であると考えるときは,手続を
中止して憲法裁判所に判断を仰がなければならない(具体的規範統制).さらに,公権力に
よって個人の基本権または基本権類似の権利が侵害された場合は,その個人は連邦憲法
判所に対して,公権力の行使の合憲性の審査を申し立てることができる(憲法異議)22) • 
そして,連邦憲法裁判所は,実際にもこれらの権限を活発に行使し,司法積極主義的な
違憲審査を行ってきた23) とくに,第 2次世界大戦直後の政治的社会的状況が不安定な
時期を脱し,連邦憲法裁判所の地位も次第に安定するようになった 1950年代末以降は,
次第に違憲審査機関として活発な活動を示すようになる(戸波 1994;渡辺 2003).たとえ
ば,当時のキリスト教民主同盟キリスト教社会同盟 (CDU/CSU) のアデナウア一政権
が,連邦が全額を出資する「ドイツテレビ存限会社」の設立を強行しようとしたのに対
して,不文の憲法原則として承認されてきた「連邦制友好的行動の原則jおよび基本法 5
条の「表現の自由」に違反すると宣言した 1961年 2月28日の第 1次放送判決24)は,比
較的初期の代表的判決である.また, 1970年代には,第 2次世界大戦後始めて成立した
社会民主党 (SPD) 中心の左派政権が内政・外交の両面で革新的な政策を展開し,それに
対して野に下った CDU/CSUが抽象的規範統制訴訟を多数提起したため,憲法裁判とい
22) 連邦憲法裁判所の組織と権限の詳細は,工藤編 (2002),渡辺 (2003) 参照.
23) 連邦憲法裁判所の下した重要判決については, ドイツ憲法判例研究会編 (2003) を参照.
24) ドイツ憲法判例研究会編 (2003) TI判決.
95 
特集 「法の支配Jの現代的位相
う形でさまざまの政治的対立の帰趨が争われることとなったが,この時期にも,連邦憲
法裁判所は,政治的に争点となった問題について多数の重要な判決を下している.その後
も,時期により,その積極性と自制の度合いには緩急、の差が見られるものの,全体として
みれば, ドイツの連邦憲法裁判所は, 1951年の制度創設以来,基本法(憲法)の原理を社
会に定着させ,また,個人の基本権を積極的に推進する任務を果たしてきたといってよい
であろう.
ドイツにおける違憲審査制の活発な運用を統計的に示すデータとして,ここで, Beyme 
の研究 (Beyme1997) をあげておこう. Beymeの研究は, 1949年の連邦共和国発足から
1994年までの時期に制定された法律の中から,法律の内容的重要性(密度と射程),政治
的争点となった度合い,各政策分野の網羅性などを基準に 150の重要法律をサンプルと
して抽出し,それについてさまざまな角度から分析を加えて, ドイツの立法過程の特徴
を明らかにすることを試みたものである.その中で Beymeは, 150の重要法律について
連邦憲法裁判所の審査の有無とその結果についても分析を加えている (8.300正).それに
よると,政治的重要法律として選択された 150の法律のうち,連邦憲法裁判所に提訴さ
れた法律の数は 60件(全体の 40%) に上ることが確認され,また,連邦憲法裁判所の判
決の結果について,法律の全部または一部が基本法に違反し無効とした判決が判決全体
の 14.8%,直ちに無効とはしなかったが基本法と適合しない旨宣言した判決
決)が 19.4%,基本法と適合する方向での解釈を示した判決が 17.5%,基本法と適合的で
あることを確認した判決(合憲判決)が 45.6%,その他が 2.7%という数字をあげている.
もちろん, 1949年のドイツ連邦共和国発足後議会で制定された法律の数は膨大で、あり,
その中から人為的に抽出された 150のサンプルについての分析が,どれだけ正確に違憲
審査制の運用の実情を反映しているかについてはなお検討の余地もあるがおしかし,
内容的重要性が大きく,政治的にも争点となっている法律について,連邦憲法裁判所が,
合わせて 30%以上という高い比率で無効判決あるいは違憲宣言判決を下していることは,
ドイツの連邦憲法裁判所の司法積極主義的な傾向を示しているといえようお
フランスと同様, ドイツでもまた,法令の事前審査制度の存在にもかかわらず,裁判所
25) Beyme自身も, 150の法律の選択が複雑な要因に依存しており,したがって problematischであるこ
とは認めている (Beyme1997 : 8.66). しかし,本稿の関心からすると,少なくとも,連邦憲法裁判所が
法律の無効ないし違憲を確認したケースを系統的に重視してケースを抽出した一一司法積極主義に舗ったバ
イアスが意図的にかけられている-ーという問題は見当たらない点で,信頼できるデータであるといえる.
26) なお, Reuter (2001 : 8.113)は, 1951年から 1999年までの連邦憲法裁判所の判決を分析し,判決
で無効とされたり違憲と確認された法令はー…法令全体に関するものと個別の規定に関するもの,全部無効
と一部無効をすべてあわせて一一連邦レベルで 361件に上ると指摘している.もちろん,ここで無効ない
違憲とされた法令の重要性はさまざまであるが,しかし,わずか 5種 6件といわれる日本とは比較にな
らない積櫨さであることは確認できょう.
96 
違憲審査制と内閣法制局
が事後的に活発な違憲審査を行い,実際にも少なからぬ法令が違憲の判断を受けていると
いう事実が確認できる.
(3) 法令の事前審査機関の役割認識と裁判所の役割認識
以上の比較法的知見を踏まえるならば,法令の厳格な事前審査の存在が論理必然的に
裁判所の事後的な違憲審査の余地をなくすわけではないことになる.日本の最高裁判所
違憲判決の少なさを説明する理由としては,内閣法制局による厳格な事前審査の存在を指
摘するだけでは足りず,この両者を媒介する別の理由一一別言するならば,等しく法令の
事前審査が存在するにもかかわらずフランス・ドイツの違憲審査制の積極的な運用と日本
の消極的な運用を分けている原因一ーがさらに探求される必要がある.
その際に重要な手がかりとなるのが,法令の事前審査機関の役割認識と裁判所の役割認
識の異同である.政府部内の法令の事前審査機関が,法令の憲法適合性の審査を行うとし
ても,その基準がもっぱら形式的側面での適合性・整合性の審査になることは想像に難く
ない.法令の実質的内容(政策)は政府ないし担当官庁によって決定されており,同じ政
府の組織が正面からそれに異を唱えるのは難しいと考えられ,ただ,それらの法令も,憲
法を頂点とする現行法体系と適合的・整合的でなければならないという制約に服するが
ゆえに,その点に限定しての事前審査が行われるのである(たとえば,先に引用したように,
平岡(1997J は,内関法制局の審査が形式的側面に重点があることを明言しており,また, ドイツ
の司法省の行う事前審査も形式面に重点を置いた Rechtsformichkeitの審査である). もちろん,
法律の形式的審査を通じて法律の実施的内容が影響を受けるという事態はありうるであろ
うが,しかし,それは間接的・反射的効果なのであって,審査が政策内容に直接に吟味を
加えるということはあまりないであろう.
これに対して,違憲審査権を行使する裁判所の場合には,それとは別の角度から,たと
えば憲法的価値の実現あるいは基本的人権(基本権)の擁護の立場から,法律の実質的内
容に審査を加えるという事態は十分考えられる.もちろん,この場合でも,裁判所が法律
の内容を政府や議会と同じ視点で一一たとえば政策の呂的適合性や効率性の点から一一審
査するわけではないし,また,きわめて高度の政治的判断を要求される事案については,
裁判所が自制の立場をとることもしばしば見られるであろう.しかし,違憲審査機関とし
ての裁判所が,自らを憲法的価値の擁護者あるいは基本的人権の擁護者として位置づける
度合いが高ければ高いほど,当該裁判所が,法律の内容を憲法の命ずる価値の実現あるい
基本的人権の保障の観点から厳密に審査し結果として違憲の判決を下す可能性は高ま
るであろう.そのような違憲審査機関としての裁判所の役割認識は,おのずと,法令の形
97 
特集 「法の支配Jの現代的位相
式的側面の審査を行う事前審査機関の役割認識とは異なったものとなるはずである.
フランスとドイツについて確認された事実,すなわち,法令の事前審査制度の存在にも
かかわらず,裁判所が違憲審査権を積極的に行使し,多数の違憲判決を下しているという
事態は,このような法令の事前審査機関の役割認識と裁判所の役割認識の違いないしズレ
によって説明できるのではないであろうか.違憲審査権の行使主体である裁判所が,法令
の事前審査機関とは異なる役割認識を持っているがゆえに,そこに違憲審査制の固有の機
能領域が開けてくるのであり,この点でフランスの憲法院が, 1971年の結社の自由判決
で,本来憲法(第 5共和制憲法)には人権規定が存在しないにもかかわらず憲法前文を手
がかりにして人権保障の規範的根拠を自ら作り出すという無理をしてさえも,人権保障機
関としてのメタモルフォーゼを遂げたことが,フランスの違憲審査制の活発化の重要な契
機となったことは示唆的である.
他方,日本について内閣法制局の厳格な事前審査の存在が違憲判決の少なさの原国であ
るという説明は,暗黙のうちに,法令の事前審査機関である内関法制局の役割と事後的な
違憲審査機関である最高裁判所の役割の均質性という前提を合意しているように思われ
る.事前審査機関と事後審査機関の役割の均質性を前提としてはじめて,事前審査が機能
すればするだけ事後審査の必要が減少するといえるからである.日本で内閣法制局の厳格
な事前審査が最高裁判所の司法消極主義の原因であるとするならば,それは,最高裁判所
内閣法制局とまったく同一であるとはいわないまでもかなりの程度近似した役割観を持
っているからではないであろうか.そのような条件の下においてであれば,確かに,内閣
法制局の審査が厳格であればあるほど,最高裁判所違憲審査権を行使する必要はなくな
るはずであり,当然違憲判決の数は少なくなるといえよう.
その意味で,法令の事前審査制度と違憲審査制度の関係を考える場合には,事前審査機
関の役割観と裁判所の役割観との重なりないしズレの度合いが重要である.今,裁判所
が自己の役割を基本的にどのように考えているかを,あらためて「司法の役割観(judicial
role concep七ion)Jと呼ぶことにする 27) 次節では,日本の最高裁判所の役割観を,内閣法
制局の役割観と比較対照しながら検証してみることにする.
27) “judicial role conception"という用語は, Pritchett (1948 ; 1954), Gibson (1978) らの研究でも重
要な位置づけを与えられている概念である.ただし,本稿では,個々の裁判官が抱く考え方ではなく,裁判
所,とくにその中心的・指導的裁判官集団の中で共有されている集合的な考え方のレベルに着呂している.
なお,個人の態度レベルに着目する行動主義的な司法研究(態度モデル)に対する批判として盛場してきた
新制度論 (newinstitutionalism) 的な研究動向の中で,司法機関のもつ集合的な役割認識やインフォーマ
ルなルールが広く「制度」を構成する要素としてあらためて注目されている.詳しくは別の機会に論じたい
と考えているが,さしあたり, Smith (1988), Clayton and Gillman (1999) を参照.
98 
違憲審査制と内閣法制局
4. 最高裁判所の役割観
内閣法制局最高裁判所の役割観の異同を知る上で興味深い素材を提供しているのが,
2003年 5月15日の衆議院憲法調査会の「統治機構のあり方に関する調査小委員会J(第 3
回)での参考人意見である.この会議では,津野修・前内閣法制局長官と山口繁・前最高
裁判所長官が同時に参考人としての招致され,それぞれ, I内閣法制局の組織及びその憲
法解釈についてJI我が国の憲法裁判制度及び最高裁判所による違憲審査権の行使につい
て」と題する意見を述べているお
(1) 内閣法制局憲法解釈一一論理性の強調
この参考人意見において津野前内関法制局長官が強調するのは,内閣法制局が行う憲法
解釈の論理的性格である.津野前長官によれば,内閣法制局が行う「憲法等の解釈は,規
定の文言,趣旨等に即して,立案者の意図等も考慮し,議論の積重ねのあるものについて
は全体の整合性を保つことにも留意して,確定されるべきものである./政府による憲法
解釈は,このような論理的追究の結果であり,政府が自由に変更することができるような
ものではないJ(強調は筆者)と述べている.さらに津野前長官は,憲法解釈の論理性とい
うことに関連して,憲法解釈は論理的に確定すべきものである以上, Iそのような考え方
に基づいて示された政府の憲法解釈につきましては,政府がこのような考え方を離れて自
由に変更できるという性質のものではないJとも述べ,論理性ということがときの政府の
政策や意見によって左右されるものではないことも強調している.
内開法制局が行う憲法解釈がこのような意味で「論理的」なものであることは,内閣法
制局の一貫した立場である.たとえば, 1978年 4月 3日の参議院予算委員会で当時の真
田秀夫内閣法制局長官は, I憲法をはじめ法令の解釈は,当該法令の規定の文言,趣旨等
に期しつつ,それが法規範として持つ意味内容を論理的に追求し,確定することであるか
ら,それぞれの解釈者にとって論理的に得られる正しい結論は当然一つしかなく,幾つか
の結論の中からある政策に合致するものを選択して採用すればよいという性質のもので
28) 以下の津野前内閣法制局長官および山口前最高裁判所長官の参考意見については, 2003年 5月 15日
衆議院憲法調査会統治機構のあり方に関する調査小委員会J(第 3回)の衆議院ホームページ上の会議録
(http:j jwww.shugiin.go.jpjindex.nsfjhtmljindex-kaigirok 
99 
特集 「法の支配」の現代的位相
はないことは明らかである j (強調は筆者)と答弁しており 29) また, 1998年 12月 7日の
衆議続予算委員会でも,当時の大森政輔内閣法制局長官が,内閣法制局の行う憲法解釈に
ついて「憲法を初め法令の解釈と申しますのは,当該法令の規定の文言,趣旨等に射しつ
つ,立法者の意図あるいはその背景となる社会情勢等を考慮し,また,議論の積み重ねの
あるものにつきましては,全体の整合性に留意して,論理的に確定すべき性質のものであ
るというふうに考え,日ごろそのような立場からその見解を申し上げているわけでござい
ます./したがいまして,政府の憲法解釈等につきましては,このような考え方に基づき
まして,それぞれ論理的な追求の結果として示してきたものでございまして,一般論とし
えば,政府がこのような考え方を離れて自由にこれすなわち憲法上の見解を変更する
ことは,そういう性質のものではないと言わざるを得ないと思いますj (強調は筆者)と答
弁している30)
このように,内関法制局においては,憲法解釈の論理性が強調され,法案の憲法適合性
を論理的・形式的に審査することが自己の役割であると考えられている.
(2) 最高裁判所憲法解釈一一司法の自制の強調
津野前内罰法制局長官に続いて,次に,山口前最高裁判所長官が, I最高裁判所裁判官
として憲法適合性の判断をするにつき実際にどんなことを考えているのか」という観点か
参考人意見を述べている.最高裁判所の長官の職にあった者が,系統的に憲法裁判およ
違憲審査権行使の理念・運用について意見を公表することはあまり例がないことから,
最高裁判所の役割観を伺い知る上では貴重な資料である 31)
山口前長官の参考人意見は,まず, I諸外国の憲法裁判制度j としてアメリカ, ドイツ,
フランスの憲法裁判制度について説明を加えた上で,諸外国と日本との裁判所を取り
く環境の違いを指摘している.そこで山口前長官が論及するのは,①「多民族国家である
かどうかj,②「連邦制か中央集権体制かj,③「政権交代の有無j,④「立法過程におけ
る法案チェックの有無j,⑤「裁量上告制(サーシオレーライ)の問題jなどの諸点である.
そして,それぞれの点について諸外国と日本を比較し,結論として,それらの点での違い
が日本における違憲判決の少なさの原因であるのとの認識が示している.すなわち,日本
29) 1978 (昭和 53)年 4月 3日,第 84回間会参議院予算委員会会議録第 23号 3項.
30) 1998 (平成 10)年 12月 7日,第 144回国会衆議院予算委員会議録第 2号 16頁.
31) なお,その他の例としては,第 3代の最高裁判所長官横田喜三郎が退官後関もなくの時期に発表した横
田 (1968) がある.同書の特徴を,奥平 (1995: 33頁)は, n違憲審査権の行使は慎重にJという主張を
貫徹するために書かれたものj と評している O 以下で検討する山口前長官の参考人意見との連続性が興味深
し¥
100 
違憲審査制と内閣法制局
では違憲判決の数が少ないことに触れた上で, Iこうした状況を招来しておりますのは,
前に申しましたような種々の事情が影響しているゆえであろうかと考えております.少な
かるべくして少なかったというのが私の認識であります.最高裁判所が,例えば可法消極
という一つの立場をとって事件の処理に当たっているわけではありませんJ.
その上で,意見の後半部分において,最高裁憲法解釈に臨む姿勢を次のように要約的
に述べている. Iいつの時代もそうでありましょうが,最高裁判所の各裁判官は,ある事
件につきまして憲法適合性が問題になった場合,憲法の単なる文理解釈ではなく,その条
文の真に意図するところ,条文の趣旨,目的,それからそれが制定されるに至りました立
法事実というものを点検いたします.それから,当該ケース,この事実,これは司法事実
あるいは判決事実と申しますが,それはどういうものか,両者を比較,吟味,検討するわ
けであります.さらには,憲法解釈をした場合のいわゆる射程距離,その影響がどこまで
及ぶか,一般的な判例法理として示すべきかどうか.さらには,政治的色彩の濃いテーマ
であれば,司法がどこまで判断を示すべきか,あるいは政治にゆだねるべきか,プランダ
イス・ルールを採用すべきかどうか,その辺も考えます./その際には,司法の機能,本
質をどのように考えるか.すなわち,裁判官の任命が選挙によっていない点で直接の民主
的基盤を持たない司法が,政治問題にどこまで介入し口出しすべきであるか.それから最
後に,憲法判断の最終的な実効性がどのようにして確保されるのか.そのあたりの点につ
きまして総合考慮いたしました上で結論を出されるのでありますJ.
以上の山口前長官の参考人意見のうち,日本で、違憲判決が少ないことがはたして「少な
かるべくして少なかった」といえるのかどうかについては別途あらためて検討する必要が
あるが,ここでは,引用部分の最後の箇所で, I苛法の機能,本質」として政治問題にど
こまで介入すべきか,また,これも政治部門との関係を念頭においてのことであると思わ
れるが,憲法判断の最終的な実効性がどのようにして確保されるのか,という問題が憲法
判断の重要な考慮要素として指摘されていることに注呂しておこう.
この点は,周知の通り,かねてから憲法学の議論において,最高裁判所の判決が,統治
行為論や議会の立法裁量を広範に認める議論を展開していることとの関連で,最高裁判所
が過度に政治部門の判断を尊重しているのではないかとして問題とされてきた点である
が32) 実は,山口前長官の意見の中でも,この点に関わって,いくつかの重要な特徴を
読み取ることができる.
第 1に,山口前長官の参考人意見ではアメリカ, ドイツ,フランスの例が詳細に紹介
されているが,特徴的であるのは,これらの諸国の裁判所で人権保障の発展に重要な寄与
32) さしあたり奥平 (1995),小林 (1994),戸波 (1999) の各論文を参照.
101 
特集 「法の支配」の現代的位相
をしたものとしてあげられる判決にはほとんど言及がないことである.たとえば,アメリ
カのブラウン判決33) あるいは本稿でも触れたフランスの結社の自由判決,さらにはド
イツで基本権擁護の点で重要な機能をはたしている憲法異議の判決34)については,ほと
んどまったく触れられていない.
他方,諸外国の判決等で,別紙の参考資料を用意してまで詳しく言及されているのは,
可法の自制(政治部門への敬譲)に関わる一群の判決である.たとえば,アメリカの場合
には, 1930年代のニューデイール立法の違憲判断をめぐる最高裁判所判例変更がとり
あげられ35) そこでは,裁判所が選挙に示された国民の判断に従っていることが強調さ
れる.また,同じアメリカについては,憲法判断回避に関するプランダイス・ルールにつ
いても詳しく言及されている.さらにドイツについては, 1952年に当時の東西冷戦の状
況下でヨーロッパの防衛のためヨーロッパ防衛共同体(国際軍)の設立に関する条約の承
認が議会の案件となり,議会の少数派が連邦憲法裁判所に提訴したのに対して,連邦憲法
裁判所が,事件の政治的重要性にかんがみ審理を停止し,まもなく行われる選挙の結果を
待つという態度をとったヨーロッパ防衛共同体条約事件36)である.
これらはいずれも,裁判所の政治部門への敬譲,司法の自制という点から系統的に理解
できるものである.すなわち,諸外国の比較法的事例を参照するに際して,一方で,各国
憲法的価舘の擁護あるいは人権保障の発展の観点から注目されている判決群は系統的に
言及がなく,他方で,政治部門への敬譲,司法の自制に関わる判決(理論)群が系統的に
参照されていることになる.もちろん,憲法的価値の擁護ないし人権保障の発展と政治部
門への敬譲ないし司法の自制は,各国の違憲審査制の運用を左右する 2つの重要なベク
トルであり,後者に関する判決(理論)に言及することは決して不自然なことではない.
しかし,あえて前者の問題には言及を控え,後者についてのみ一面的に強調しているとこ
ろに,裁判所の役割についての一定の選択が現れているように思われる.
実際,意見表明後の質疑の過程では,もっぱら,司法の自制を強調する回答が続くこと
になる.たとえば,裁判所が政治的問題について消極的過ぎるのではないかとの委員から
の質問に対して「いろいろなお立場からいろいろな御批判のあることは十分承知しており
ますけれども,やはり政治の問題と苛法の問題ときっちり分けて考えていかなければなら
ないだろうと思います./司法でこういう判断をしたらめり張りがついて政治的に解決の
33) Brown v.Board of Education, 347 U.S. 483 (1954). 
34) 憲法異議の制度が個人の基本権の保護にきわめて重要な意義をはたしていることは多くの論者によって
指摘されているが,たとえば,戸波 (1994: 54頁)参照.
35) 最高裁判所は,当初,ルーズベルト大統領が打ち出した積極的な経済統制立法を私的財産権の保障,経
済活動の自由の観点から違憲と判断していたが, 1936年の大統領選挙におけるルーズベルト大統領の圧倒
的な再選の後,ニューデイール立法の合憲判決を下す立場に転じた.
36) 開事件については渡辺 (2003: 9頁)参照.
102 
違憲審査制と内閣法制局
糸口も見えてくるのではないかという趣旨のようなことをおっしゃっておられたように思
いますけれども,もしそうであるとすれば,やはり政治の場できちんと判断を示していっ
ていただくのが,今,津野参考人もおっしゃられたように,王道ではないかというふうに
私どもは思っております」と述べ,また,統治行為論の問題についても, r統治行為論
問題でありますけれども,先ほど来御説明申しましたように,国民の選挙によって選ばれ
た立法機関である国会,これが現に存在しているわけでありまして,司法と申しますのは
直接国民によって選ばれた存在ではない,したがいまして,司法権というものには本質的
な制約がある,やはりその制約の中で考えていくべきであるということで,統治行為論
つきましでも,その司法の本質にふさわしいかどうかという観点から考えていかなければ
ならない」ことを強調している.
この山口前長官の意見の特徴は,ヨーロッパ諸国の憲法裁判官たちの意見と比較して
みると,より明瞭になるかもしれない.たとえば,フランス憲法院の裁判官であったジャ
ツク・ロベール (JacquesRobert) は,その講演で,憲法院による憲法保障(違憲審査)
の限界にふれながらも,憲法院が, 1970年代以降,市民の基本的自由の擁護者としての
役割を確立してきたことを確認し,議会との関係では「市民の基本的な公的自由を行使
するための保障を立法者が制限する(保障の程度をさげる)ことは禁止される」との立
場を明言している(ロベール 1996).また, ドイツの連邦憲法裁判所のリンバッハ (Jutta
Limbach)前長官は,政治部門に対する敬譲を当然の前提としながらも,しかし,裁判所
(連邦憲法裁判所)が, r法の機関」として, r政治に法のたがをはめる (diePolitik in das 
Recht einbinden) J役割を強調し,そのことに不可避的に伴う政治的な効果をあえて引き
受けようとする立場を表明している (Limbach1998 : 8.134). ロベール裁判官もリンバ
ッハ前長官も,裁判所が政治部門とまったく同じスタンスで政治問題に介入することは許
されないとする点では山口前長官の意見と異なるところはない.違いが見られるのは,裁
判所が「市民の基本的自由の擁護者Jとしてあるいは「法の機関」として判断することが
不可避的に政治的意味を持つ次元についての評価であり,ロベール裁判官が市民の基本的
自由を制限する立法が某止されることを明言し,あるいは,リンバッハ前長官が裁判所の
「政治に法のたがをはめるJ役割を重視するのに対して,山口前最高裁判所長官の意見で
は,その点においてより自制的・謙抑的であるように思われる.
裁判所は違憲審査権の運用における自己の役割について,いくつかの異なった選択をな
しうる.それは制度の影響を受けると同時に,たとえば, 1970年代のフランス憲法院の
例に見られるように一ーさらに言えば,アメリカ合衆国最高裁判所が自らに司法審査権が
103 
特集 計去の支配Jの現代的位相
存在することを宣言したマーベリー判決37)もそうであったように一一裁判所自身が選び
取るものでもあるが,日本の最高裁判所の役割観において第 1次的に関心が向けられて
いるのは,人権保障や憲法的価値の擁護といった観点よりは,より強く,司法の自制,政
治部門の決定への影響の回避であるように伺われる.政治への実質的な影響を可能な限
り回避しようとするならば,違憲審査制度が機能する領域は自ずと縮小し,残される領域
は,政治部門の決定に実質的な影響を及ぼさない論理的・形式的審査だけになるかもしれ
ない.そして,それこそが,内閣法制局が事前に余すところなく先取りしている活動領域
なのである.内閣法制局の事前審査が違憲審査の機能領域を小さくするという説明は,こ
のような内閣法制局最高裁判所が基本的に同じ役割を共有するという条件の下ではじめ
て成り立つものであり,その意味で,内閣法制局の活動と違憲審査制の運用の 2つの現
象を媒介するものとしての司法の役割観が決定的に重要なのである.
5. むすび
以上,本稿では,日本の最高裁判所による違憲審査制の運用が消極的である理由の 1
っとして主張される,内閣法制局の厳格な事前審査があるために裁判所が事後的に違憲
決を下す必要がなくなっているという説明について,比較法社会学的な視角から検証して
きた.日本と同様法令の厳格な事前審査の制度が存在するにもかかわらず,憲法院ないし
連邦憲法裁判所が違憲審査制を積極的に運用し多くの違憲判決を下しているフランスやド
イツの例を参考にするならば,内閣法制局による厳格な事前審査の存在が直ちに違憲審査
制の消極的な運用をもたらしているとはいえない.裁判所がその役割について,政治への
介入を極度に自制する役割観をとっていることが重要な媒介要因であり,そのような条件
の下で,内閣法制局のはたす役割と裁判所がはたす役割の重なりが大きなものとなり,そ
の結果,内閣法制局がまず時間的に先行して厳密な審査を行うことがその後の(事後的な)
可法審査の機能領域を小さなものにしているのである.他方,フランスやドイツでは,裁
判所が憲法的価値,とりわけ基本的人権(基本権)の擁護者としての役割認識を強く持っ
ている結果,形式的側面の審査に重点を寵く事前審査機関の役割とのズレが相対的に大き
なものとなり,この事前審査機関の活動に還元されない機能領域において,活発な違憲
査活動が展開されていることになる.
内閣法制局の事前審査の存在は確かに最高裁判所の事後的な審査の領域を狭めている
37) Marbury v. Madisonぅ 5む.8. (lCrach) 137 (1803). 
104 
違憲審査制と内閣法制局
が,それは論理必然的な関係ではなく,最高裁判所による一定の役割観の選択という媒介
要因が重要であるーーその点の違いが日本とフランス・ドイツの違憲審査制の運用の違い
をもたらしているーーというのが本稿の結論である.
以上を前提に,最後に,本稿の主題に関連する 2つの問題に言及し,今後の課題を確
認しておこう.
その第 1は,違憲審査制の積極的な運用がもたらす事態,とくにそれが政治部門の決
定に及ぼす影響をどう評価するかという問題についてである.フランスの憲法院やドイツ
の連邦憲法裁判所の積極的な違憲審査制の運用が定着するとともに,フランスでも, ドイ
ツでも,法と政治に関わる状況が根本的に変化したことが指摘されている.とりわけ議会
での少数派がしばしば法案の合憲性を争い,裁判所(憲法院,連邦憲法裁判所)に提訴する
結果,法案の審議をめぐる議会の論争が,当該法案の合憲性をめぐる法的論争に転化し,
しばしば裁判官が政治的問題のキャステイングボードを握ることにもなっている.この
ような現象をどのように評価すべきかは難しい問題であり,両国でも賛否さまざまな議論
がある 38) その中で, 1つの注目すべき視角を提示しているのは,比較政治学の立場から
ヨーロッパの違憲審査制を考察した Shapiroや Stone (Stone Sweet) らの研究である.か
れらは,ヨーロッパの政治において憲法)裁判所がさまざまな次元で立法に影響を及
ぼす強力な存在となっていることを確認するとともに,実効的な違憲審査制の存在が政
治過程における憲法的デイアローグを活性化させ,議会での議論のクオリティを変える役
割をはたしていることを積極的に評価する議論を展開している (Shapiroand Stone 1994; 
Stone Sweet 2000). 他方,筆者は,そのような指摘を念頭に置きつつ,日本では政治的・
公共的議論空間において裁判所の存在が余りにも希薄であること (r司法の不在J) を指摘
したことがある(佐藤 2002).ヨーロッパの政治における裁判所の存在が「過剰Jである
のか,あるいは,日本の政治における裁判所の「不在jが問題であるのかは一概には決着
のつけられない難しい問題ではあるが,そのためにもまず,彼我の憲法政治における裁判
所の役割について実証的な研究が積み重ねられる必要があり,比較法社会学の観点からそ
の問題の解明に寄与するが筆者の今後の重要な課題の 1つである.
第 2に,本稿では,法令の事前審査制と違憲審査制の運用の関を媒介し,日本とフラ
ンス・ドイツの違憲審査制の運用の違いをもたらした要因として, I司法の役割観」の重
要性を指摘したが,この点については,次に,それではこの百本とフランス・ドイツの可
38) たとえば,フランスでは, I裁判官統治Jの是非をめぐる問題として活発に議論されているが,この点
に関する最近のブラシスの憲法学者の議論を整理・論評するものとして,山元 (2003/2004)参賠.また,
ドイツについては, 1990年代半ばの連邦憲法裁判所の積極的な違憲判決(いわゆる「座り込みデモ判決j
「十字架像判決JIr兵士は殺人者だj判決JI財産税判決Jなど)をめぐって生じた激しい議論について,畑
尻 (1997),服部 (1999) が詳しく紹介している.
105 
特集 「法の支配jの現代的位相
法の役割観の違いは何によってもたらされたのかをあらためて検討する必要がある.こ
の点で直ちに想起されるのは,フランスもドイツも独立の憲法裁判所制度を採用してい
るという点であろう.確かに,独立の憲法裁判所を設けていることは,その構成員(裁判
官)に憲法的価値の擁護者としての自覚を持たせ政治過程への介入に積極的な役割観を促
す方向で作用している可能性がある.しかし他方,これに対しては,日本と同様(という
よりも日本の違憲審査艇がそのモデルとした)アメリカ合衆国では,通常裁判所である連邦最
高裁判所が積極的な違憲審査活動を行い,政治過程で重要な役割をはたしていることに注
しなければならない.日本の裁判所に政治への介入を厳しく自制する役割観をもたらし
ている要因は,単に通常裁判所か憲法裁判所かという側面だけではなく,さらにl幅広い文
脈で検討される必要がある.本稿冒頭に紹介したように,日本の司法消極主義の原因とし
ては多様な要因が指摘されており,それらについてあらためて, r可法の役割観jの形成
要因という角度から整理してみる必要がある.これもまた,本稿が残した重要な課題であ
る.
以上の通り,本稿は今後にいくつかの重要な課題を残すものではあるが,さしあたり,
日本における違憲判決の少なさの原因として内閣法制局による厳格な法令の事前審査の存
在を指摘する説明について,比較法社会学的な分析を加え,内閣法制局による法令の厳格
な事前審査が藍ちに事後的な違憲審査制の機能の縮小をもたらすわけではなく,日本でそ
のような事態が生じているのは,最高裁判所が,政治への介入を厳しく自制する役割観を
選択している結果であることを明らかにしたことをもって本稿を閉じることとしたい.
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